当社設立の経緯

はじめまして。 会長の末金(すえかね)といいます。 本サイトに訪問されたあなたへのご挨拶と併せて、当社を設立した経緯を役員それぞれから、お伝えします。 しばし、お付き合いいただければ、大変嬉しく思います。 当社を設立した経緯は、大学時代までさかのぼります。 当時、日本大学の野球部に所属しており、そこで今は当社の役員を務めている清水直行と初めて会ったのです。 ご存知の方もいるでしょうが、清水は日本大学の野球部から、社会人野球へ、そして千葉ロッテマリーンズのエース、日本代表投手へと進み、トップクラスのプロ選手として華々しい活躍を上げます。 しかし、自分は、清水がプロ契約が決めた時も、プロデビューをした時も、一切「おめでとう」という言葉をかける事はしませんでした。 ついさっきまで、日本大学の野球部で同じ釜の飯を食べていた人間が、プロのマウンドに立ち、名だたる選手たちから三振をとっている。あまりの出来事に、嬉しくもあり、誇らしくもあり、そして・・まだ人間的な未熟さもあるのか、悔しい気持ちが大きくありましたね。 プロデビューを視野に入れるほど、野球に打ち込む日々を送っていましたが。 清水の活躍は、自身の野球の技術や、才能の無さをテレビや新聞を通して、毎日のように痛感させられていたので、現実を受け入れる度胸が無かったようにも思います。 しかしながら、その出来事がキッカケで、1つ、自分自身との約束をしたのです。

近い将来、清水と肩を並べるほどの男になる。

そして、肩を並べるのは、なにも野球というプロセスにこだわらなくてもいいと気付き、出身地である兵庫県でビジネスをスタートします。 手前味噌ですが、ビジネスはすぐに軌道に乗りましたね。 創業から、数年後には、東京に進出 それからほどなくして、本社機能を六本木ヒルズに移します。 昔から抱いていた理想を、”予定”へとアップデートし、予定をこなす事で、あらゆる理想を現実にする日々をこなしてきました。そんなとき、1本のニュースが飛び込んできます。 ー 清水直行 引退 ー 肩を並べるとまでいかなくても、また一緒にメシを喰っても恥ずかしくない成長ができたはず・・ いや、それを決めるのは清水か。そう考え、久しぶりに清水に連絡を取り、会って様々なことを語りました。 ひと昔前であれば「熱く語りあえた」という言葉が出るのかもしれませんが。 元プロ野球のエースピッチャーであり、野球日本代表に選出されるほどの人物と話しても、「熱い1日だった」という感想にならないのは、全力で生きているうちに常温が高くなったということです。それが分かり、少し安心しましたね。 なにはともあれ、久しぶりに会った清水から聞いたのは、野球をはじめ、日本のスポーツ界に存在する、問題点です。引退後のアスリートのセカンドキャリアの問題、支援が少ないマイナー競技の選手たちの現状 個人的に、全てのビジネスは、人が抱える問題の解決業であると考えています。 問題があるならば、それと同時に、人々の生活をより楽しく、豊かにするためのきっかけも必ず存在します。 スポーツと共に成長してきた自身にとって、素晴らしいチャンスがそこにはあると確信し、清水を誘い、新たなビジネスをスタートする事にしたのです。 このページをご覧いただいているあなたと共に、新たな道を進むことができたら、大変嬉しいです。 スポーツが自身を向上させてきました。 幼いころから、アスリートの方々に、言葉にできない勇気と誇りをもらいました。 次は、わたしたちの番です。 全てのアスリート、そしてアスリートを志す若者の誇りとなれるような会社として、今後も成長を続けます。
  こんにちは、清水直行です。 まずは、ご存知ない方のために、自己紹介をさせてもらいます。 上で、会長である末金の話しの通り、かつては日本大学の野球部に所属していました。 その後、東芝府中―東芝で、社会人野球を経て、千葉ロッテマリーンズの投手として契約します。 引退後は、ニュージーランド野球連盟のGM補佐、代表統括コーチに就任 現在は、千葉ロッテマリーンズの一軍投手コーチを行っております。 投手として13年を過ごし、通算105勝を記録、9年連続規定投球回数クリア、オールスターゲーム選出回数3回、リーグ優勝と、日本シリーズ優勝 そして、日本代表チームの投手として、アテネオリンピック銅メダル、第一回WBC優勝などを経験してきました。 過去の成績や資格などは、当時の頑張った自分が獲得したものです。 それゆえに、ここからは未来志向の話をしたいと思います。 まず、この会社に参加した理由ですが。 オリンピックで銅メダルを獲得後、長嶋茂雄さんにかけていただいた言葉があります。 「野球の伝道師たれ」と。 選手としての自分自身は、野球というスポーツから、あらゆるものを与えてもらっている状態でした。 家族を養うための給料はもちろん、勝利の喜び、苦楽を共にするチームメイト、応援して下さるファン、成長させてくれた恩師・・ 親が与えてくれた丈夫な体以外は、全て野球が与えてくれたものです。 引退を考えたとき、この事実に気付かされました。気付いたと同時に、長嶋茂雄さんにかけていただいた「野球の伝道師たれ」という言葉の意味を理解できたのです。 選手として、野球に与えてもらえる時は終わった。今と、これからの野球のために、スポーツのため、先輩たちのように振興を担う存在になりたい。 そのように考え、一度日本を離れて、引退と同時に、資金なし、コネなし、裸一貫でニュージーランドに渡りました。ニュージーランドでは、野球連盟のゼネラルマネージャー補佐、代表統括コーチ、そしてジュニア世代の代表チーム監督に就任します。 就任といっても、ニュージーランドにおける活動の9割は無報酬のボランティアです。 さらに、日本のように野球が普及している国ではないので、代表チームといっても練習場所も満足にありません。 遠征をする資金もありません。道具さえ満足に揃えられない状態です。 スポンサー集めの営業を行っても、反応は冷たいものでした。   そんなとき、旧友であり、現会長の末金から連絡があります。 「お疲れさま、久しぶりに会わないか」 久しぶりに会うと、驚くほどに野球をはじめ、スポーツ市場の問題と振興で、同じような問題意識を持っていたこと。それと、ずっとビジネスの世界で経営をしてきた末金には、野球連盟の運営や、資金のことなど様々なことを相談することができ、非常に救われました。 また、10年以上経っても志が同じでることを確認でき、非常に嬉しかったですね。 そして、もうひとつ、救いとなる出会いがあったのです。 当社の代表取締役社長である、加藤謙次郎です。 加藤は、元々プロ野球球団の球団職員として働いており、出向という形で、野球日本代表チームを運営する仕事をしていたので、以前から知っていたのですが。はるばるニュージーランドまで、野球のボールを届けに来てくれました。 感謝の言葉を伝えると同時に、改めて野球やスポーツの今後について、様々なことを話し合いました。 その時、加藤もまた、スポーツの振興を担う仕事をやっていきたい。 「現在の立場ではやれることに限りがあるので、独立を考えている」そう聞いて、運命を感じたのです。 ちょうど、会長である末金と、会社として、スポーツの振興を担えないか、話し合っていた時期ということもあり。 加藤に代表取締役社長に就任してもらい、会社の中心人物として仕事を任せたいと考え、R.E WORKS設立の話をしました。 こうして、会社を3人でスタートする事になったのです。 ニュージーランドで、地道な活動を続けていたとき、現役時代からお世話なっていた日本企業の新昭和さんをはじめ、ニュージーランド航空や現地日本企業の皆さまからは、多大な協力や支援を頂きました。 いま、思い返しても胸が熱くなります。 遠く離れたニュージーランドの活動を気に掛けていただいた日本プロ野球界の皆さま、古巣である千葉ロッテマリーンズの皆さま、日本とニュージーランドの架け橋としての活動を評価していただいた在オークランド日本領事館や政府の皆さまにも心から感謝をしております。 今後も、人生をかけ、さらなる挑戦を続けます。 野球の伝道師という道はもちろん、あらゆる夢や目標へと続く道は、決して1人の力では歩めません。 この会社は、我々に関わって下さる、取引して下さる方々や、アスリートの方々と共に成長をしていける。 そして、夢や目標へと続く道を歩むスピードを加速させる。そんな会社であると、自負しております。 また、そうなるように、設立のとき、信念を込めて体制を作りました。 こうして、熱心に読んでいただいているあなたとも、共にさらなる成長ができれば、嬉しいです。 また、お会いできる日を楽しみにしております。 一緒に頑張りましょう。
はじめまして。 代表取締役社長の加藤謙次郎です。 わたしは今から11年前、27歳の時にプロ野球の世界に飛び込みました。 当時プロ野球の世界は、外から見ていて揺れに揺れていました。2004年にいわゆる「球界再編騒動」が起こり、新球団も誕生したりする中で「プロ野球球団は誰のものか」という議論が多く起こっていたのを記憶しています。 そして、実際に飛び込んで「球団はファンのものだ!」という想いで主に広報やプロモーションの分野で働きました。 その中でいい思い出や苦渋を舐めたこともいっぱい経験しながら、縁もあって野球の日本代表の事業を創る業務に関わることになりました。 野球日本代表はいわゆるトップチームとなるプロ野球選手がベースの日本代表だけでなく、U-18やU-12などのジュニア世代、または女子の日本代表もあります。 各世代の日本代表はアマチュアの各連盟によって運営されており、仕事をする中で「野球界全体」について考える機会や知見を多くいただきました。 「子どもの野球離れの問題」「少年野球チームの問題」「中学野球部員減少の問題」「女子野球選手がプレーする環境の問題」「プロ野球選手のセカンドキャリアの問題」・・・どこの業界にも課題はありますが、野球界にも多くの解決すべき課題があります。 課題というのは、「表面化している現象」であり、その課題を解決するには「本質的課題」の抽出が必要です。 そしてこれらの問題の本質的課題は、実は1つなのではないかと思うようになりました。 その課題は構造的な問題も抱えていて、中にいては解決へのアプローチが難しいのではないか・・・とも。 そして色々考えた結果、社会人16年目にして初めて組織を飛び出すという決断に至りました。 決断に至る過程で上記の清水や末金との出会いにも恵まれ、R.E WORKSが誕生しました。 R.E WORKSの事業領域、ミッション、ビジョン。 当然3人の経歴を考えるとスポーツやエンターテイメントの領域で活動していくことにはなりますが、 そもそも「スポーツ」と「エンターテイメント」はその定義によっては非常に幅広いものになります。 そして前例に捉われることなく動くことが大事です。 従いまして、このような考えはMBAの世界では不正解となるかもしれませんが、 まず行動ありきで事業やミッション、ビジョンは後からついてくる、というイメージで行こうと思っています。 「人を繋げて、楽しいを提供する」ことが行動の規範となりますが、 まずは可能性を限定せずに、想いのままに行動してまいります。 私自身初めて会社の代表として、R.E WORKSのハンドルを握ります。 当然ハンドリングを迷うこともあるし、力んでしまうこともあると思います。 しかしその中で、末金や清水含め色々な方の助けを借りながら進んでいくことで、 R.E WORKSの歩むべき道もできてくると考えます。 皆様の力もお借りしたいし、皆様のお役にも立ちたいです。 ぜひ、何らかの形でご一緒できることを楽しみにしております。